沿革

1975年3月父が作業中の事故に遭遇。(父49歳、母42歳)
「医師より生きて一年、奇跡が起きて三年」と告げられる。
後に4年間の闘病、リハビリ生活の後、脊髄損傷により
下半身不随の1級障がい者となるも生還。
1977年3月狭山丘高等学校 卒業
1980年9月母校の狭山ヶ丘高等学校に教育実習に行き、
担任を持ったクラスで妻、美智代との運命の出会い。
(昭和61年結婚、40年後の令和3年没)
1981年3月東京国際大学商学部13期卒業優秀学賞受賞
1982年3月日榮住宅資材退社 (営業達成率賞で全国一位になる)
1984年6月藤和ホーム株式会社独立起業(現会長)
1986年3月結婚(清27歳、妻美智代23歳)
1986年4月藤和建築設計事務所開設
1987年4月日高市連合青年団団長就任
1987年10月長女 愛美 誕生(清28歳美智代23歳)
1988年4月飯能青年会議所(JC)入会
4月「日高ヤングフェスティバル1988」を巾着田で開催し延べ5000人の参加。
第一回ミス日高コンテスト、日本一長い迷路、人気バンド演奏、模擬店、
提灯みこし等の盛沢山のイベントを日高市連合青年団団長(実行委員長)として開催。
1990年3月藤和建設株式会社 設立 (現取締役)
1991年8月長男 将伍 誕生 (清32歳、美智代28歳)
1994年5月株式会社 藤増ステンレス工業 設立(現取締役)
1996年7月有限会社トーマス企画設計 設立 (妻 加藤 美智代 代表取締役)
12月日高市建設事業協合組合設立 代表理事組合長 就任
1999年4月日高市会議員選 2位当選(1期)
2000年4月日高市身障福祉会顧問に就任
2000年5月埼玉県公民館功労賞表彰 受賞
2002年3月(株)グローバル介護サービス(現取締役)
2003年4月NPO法人 さいたま福祉ネット 四季の郷設立(妻 美智代 初代理事長)
4月日高市議会議員選挙 トップ当選(2期)
6月日高市議会 副議長 就任
2006年2月埼玉県会議員 当選(1期)
2007年6月埼玉県知事上田清司「埼玉を日本一にする県民の会」代表幹事
2008年4月有限会社トーマス企画 設計設立(現取締役)
2009年4月医療法人社団 寿会 吉沢病院 経営顧問・監事に就任。
2010年4月日高市長選に挑戦するも次点
2012年8月父 加藤増次 没 享年86歳
2014年6月農事組合長
2016年1月一般社団法人 あすなろ推進機構 専務理事
4月日高市区長会副会長
4月日高市社会福祉協議会福祉委員(28.4.1~30.3.31)
4月飯能警察署 地域防犯推進委員就任
5月日本赤十字社社員増強推進委員就任
2017年4月日高市地域福祉計画策定委員会委員(29.4.21~31.3.31)
6月社会福祉法人藤和会設立(特別養護老人ーム)理事長就任
2018年2月株式会社ネクサス 代表取締役 会長
5月藤和BCS事業協同組合 代表理事 組合長就任
10月一般社団法人 にこにこ福祉機構(妻 美智代 理事長) 専務理事
一般社団法人 いきいき福祉事業団 代表理事
2019年2月山手介護株式会社をM&Aにて取得 代表取締役 社長兼会長
3月「笑顔創生」藤和グループ 山手介護(株)創業60周年記念式典開催
7月特許庁商標登録第6160852号「ミマモリー」登録証取得
11月特許庁商標登録第6193693号「金澤式リボーン点滴療法」登録証取得
2020年9月特許庁商標登録 第6296440号「農体験型リボーンセラピー」登録証取得
10月リハビリ&フィットネス・元気アップ倶楽部 FC 募集展開スタート
11月特許庁商標登錄第6313936号「元気アップ俱楽部」登録証取得
2021年5月特許庁商標登録第6394452号「元気のビタミン」登録証取得
4月妻 美智代58歳がすい臓癌により6ヶ月の余命宣告を受ける
9月最愛の妻 加藤美智代がすい臓癌に依り没。享年59歳
2022年2月パーキンソン病を発症 障害者認定2級となる。
9月社会福祉法人藤和会 放課後デイ 鴻巣 開所
2023年4月山手介護付き有料老人ホーム 四季の郷 飯能(45床)開設予定
4月社会福祉法人藤和会 特別養護老人ホーム四季の郷 越生(100床)開設予定
5月著書 苦難と復活・心と体のリハビリ物語 出版予定
9月リハビリ&フィットネス元気アップ倶楽部 日高 開設予定
11月介護付き有料老人ホーム四季の郷 皆野 開所予定